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あまねくうつしみ

omnimoment
site specific sound works 2006 - 2009

サイトスペシフィック・サウンドワーク 2006 - 2009


  • タイトル:あまねくうつしみ
  • アーティスト:こじょう ひとし
  • 曲名 [時間]:1. 不知火 [9:31]、2. 海の停泊塔 [12:22]、3. 日向の浸蝕 [10:30]、4. 星の放牧 [9:56]、5. 星撒き [13:40]
  • フォーマット:CD、24ページブックレット(デジタルオフセット)
  • カバー:初版、第二版;色厚紙(315gsm)、デジタルオフセット、ダイカット、第三版;色厚紙(375gsm)、手刷りシルクスクリーン、ダイカット
  • 発行部数:初版 88部(ナンバー入り)、第二版 50部、第三版 50部
  • 発行年月:初版;2012年2月 | デジタルファイル版 2023年
  • レーベル:omnimemento
  • カタログナンバー:om 05

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レーベル

原場

 私達が日常接する事物や環境のほとんどは、ある目的によって作られ、その役割を 与えられている。
 「自然」と呼ばれるものでさえ、私たちが日常生活で接するほとんどのものは、便宜上改変されているか、少なくとも改変された環境の中にあるか、もしくはその役割を終えて放置されたものだ。
 それらの事物や環境が、元来の目的とは全く違った方法で用いられ、その役割と全く関係のない状況に置かれた時、その具体性が過剰に際立った「異風景」が現れる。
 この方法は二十世紀前半多くのシュール レアリストによって試みられ、音楽の世界でもミュージックコンクレートの手法として定着している。
 同様の手法を用いながらも、私自身の興味は「異風景」を現す事よりも、むしろその中に行為を持って参入し、役割から解き放たれた事物や環境と全感覚を通じて「分子的交流」を行う事にある。
 あえて言うなら、その目的は「分子的交流」を通して、水、火、風、土、気といった 元素的な諸力が渦巻く「自然」の「原風景」を呼び出す事だ。

 そのような「自然」は、実際にはどこにもないユートピアの産物と考えられがちだが、それが日常の具体的な事物に端を発している以上、むしろ「生(き)の現実」と呼ばれるべきだろう。
 「生の現実」というと、何か現実の厳しさを思い浮かべてしまうかもしれない。しかし行為を通してそこに参入した時に感じる、元素的な力が織りなす「原風景」は大変美しく、私はむしろそれを「現実の生の美しさ」と捉えている。
 その美しさは常に何処にでも在るのだが、日常生活の中では、有用な物事のきらびやかな輝きに覆われているため、感じる事が難しい。それは美しい星々を昼間に肉眼で見る事は出来ない、という事実に似ている。
 日常の其処彼処に遍在する「現実の生の美しさ」、これを五感で感じる世界に現出するための行為を記録する事は、果たして無用な事だろうか。少なくとも有用性の呪縛から解放された「生の現実」に、無駄な物は一切無い。

2011年2月 ヴェヴェイ

このアルバムについて

 『あまねくうつしみ』は、元来インスタレーションもしくはライブインスタレーション / パフォーマンスの形で、2006年から2009年の間に発表された、サイトスペシフィク・サウンドワークのコレクションです。すべてのプロジェクトは、現場もしくはその周辺で見つけた物と環境音を用い、その場所のために実現されました。それらは、複数のスピーカーを通し、現場の生の音やその空間の響きと共に、2時間から2ヶ月半という長い時間の中で提示されました。
 このアルバムに収められた作品は、それらのドキュメントの抜粋を、限られた時間の中でのステレオ聴取用に再構成したものです。私はリスナーが他の情報を参照しなくても、このアルバムを一般的なオーディオ作品として楽しんでいただける事を期待しています。しかしながら、それぞれの現場で、もしくは現場のために作られた音とその基本的な構成は、出来る限り保持するように心がけました。

関連資料

レビュー

 欧州で活動を継続する音楽家、小城仁志さんの新作が届いた。小城さんについて、一昨年ロンドンで会ったジョナサン・コールクロウがこう語っている。「彼は今、奥さんのCaroleと共にスイスに住んでいる。時に英国を訪問し、あちこちで音楽家とコンタクトを持った。相手は、アンドリュー・チョークおよびマイケル・プライム。ダーレン・テイト、そしてポール・ブラッドレイ。コリン・ポッターに、もちろん私とも」。英国とアイルアンドに在住する、独特の波長を共有する音楽家連である。これら「波長を共有する」音楽家が英国に集中しているのは、面白い現象だ。

 もちろん東京在住の鈴木大介さんをはじめとして、英国外にも波長の共有者は存在する。だが 1980年にオーガナムとして登場したディヴィッド・ジャックマンを先駆けとする脈が、英国には在る。面白いのは、前記した音楽家が実際に出逢うこと無くして音楽に共有部分を持つことだろう。インターネットの普及していない時代から、在ったとしても僅かな接点で彼らは共存して来たのだ。これでは、「氏か育ちか?」というしばしば様々な領域で交わされる問答がそこにも勃発しかねないだろう。「芸術は環境と連動して成立する」その結果だと、示唆し得る現象だと想う。

 現在はベルギーに住む小城さんの新作 『あまねく うつしみ』 も、この現象と無縁では無い。本作はCDであり、小城さんによる日本趣味の見事な手作りのブックレットに収められている。アンドリュー・チョーク一連の装丁作品を想起させ、素材をうまく活かしたデザインは秀逸だと思う。マニフェストによれば、本作は "site specific" な、つまり録音の場所に特化した作品の集成なのだと言う。エストニアからドイツそしてスペインなどユーラシア大陸の諸国、さらにはアメリカ合衆国に至るまで。録音を行なった場ならではの、そこでこそ成立し得ることが出来たと言うパフォーマンスの軌跡である。

 演奏の場が違えば、音が従えるアトモスフィアも変わって来るだろう。とりわけ瞑想にも近いスタンスで場との交歓を音楽家が試みれば、変化は顕著である筈だ。しかしそれでいて、場には依存しない小城さんご自身の共通エレメントがそこには同居していると想う。つまり、様々な場で行われたそれぞれの演奏は 「違ってはいるが、同じ」なのだ。そんな相と違の対比が、このアルバムをとても興味深いものとしている。

 この場では、場が変質を促すことの無い小城さんご自身の音について触れよう。本作においては、ナチュラルなドローンと軋轢の気配がいつも蠢いている。それは例えばオーガナム、そしてザ・ハフラー・トリオの音を想起させもするだろう。特徴的なのは、そこに融合しているまるで星雲から送られて来る波動の様な運動である。「かそけきもの」とそれを呼んでも良い、時にはドローンと軋轢の裏打ちとして存在し表には出て来ない。それは精神的なエナジーであり、日本と欧州での生活を通じ小城さんが獲得されて来たものだと想う。「獲得された」のは小城さんのヒストリーが生み出したものであり、言わば時間の集積なのである。

 小城さんの、"site specific" なパフォーマンス。それは、多様な空間と一様な時間の交差点でもある。どの場所にいるとしても、そこにはいつも星雲からの波動が降り注ぐ。だが地表に届く波動は、星雲が随分と昔宇宙へと送り出したエナジーである筈だ。太古のエナジーを、源から遥か遠い場所で今受け留めているという実感。それは、現在と太古を結ぶ瞑想のルートを開示する扉なのだろう。

 音楽を演奏することは、「時空の何処に、自分が居るのか」を識る行為なのかも知れない。アルバムに冠されたタイトルは、『遍く (普遍の) 現し身 (今生きている自分)』である。何処に居ても自分は自分であり、瞬間瞬間の自分として生きて行く。居場所が違えば現象が変わるが、そこでは時間に従い変わる自分が投影されるだろう。その結果として、音楽という有機体が生まれるのだと想う。

音薬談 坂口卓也



Gorgeously packaged, gorgeous dronemusik!
Hitoshi Kojo is a Japanese sound artist and drone-centric expressionist who has recorded in the past under the moniker Spiracle and performs in the jubilantly psychedelic but still quite droned-out project Juupala Kaapio.
Omnimoment is a collection of edits from Kojo's sound installations and site-specific work dating from 2006 - 2009, all of which extract and manipulate elemental forces of wind, fire, water, metal, wood, sand, etc. into blossoming thrums of sublime minimalism which run parallel to the works of Andrew Chalk, Loren Chasse, and John Grzinich.
"Shiranui" was originally conceived at the MoKS residency program in Estonia, sourced mostly from the blades of an abandoned Soviet turbine left inexplicably out in the countryside. Kojo extracts pensive, metallic overtones from those blades that sound more like an ancient gong than some hulking industrial machine; and he amasses those sounds into semi-melodic phrases and ritualized acoustic dronings that Organum mastered in the mid-'80s.
"Sea Migration" is an excerpt from an installation involving a feedback system and a bunch PVC pipes that hung from the top window of Germanic castle, looking sort of like a weird plastic octopus playing the part of Rapunzel. Those pipes captured the sound of the wind and the various frequencies of that feedback system creating a tactile, generative composition of pure tones and haptic events not too far from those far more composed works from Andrew Chalk's once prolific project Ora.
The last three tracks demonstrate Kojo's ongoing strategies involving found objects through a process which he calls 'molecular communication' where extended vibrations and dense beds of accreted drone broadcast outward from Kojo's scraped metals, clinked glass, and rubbed sand.
There's definitely some type of alchemy at work in Kojo's sound design, with mysterious energies transforming the commonplace into something sublime, otherworldly, or divine.

Aquarius Records


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