コジョウ ヒトシ

 ブリュッセルに暮らす、日本生まれのアーティスト。

 1980年代から90年代初頭にかけて、視覚表現と音楽の制作を行ったのち、1990年代後半になると、より根源的な音の在り方へと関心を移していく。石、植物、風に揺られた枝先、あるいは捨てられた日用品――名もなき物たちを手に取り、直感のままに触れ、揺らし、その微細な震えを耳で掬い取っていく。そこから生まれた録音は、互いがかすかに寄り添い、呼応し、静かな共鳴を形づくる。
 時には伝統的な楽器や声の息づかいが、その共鳴に溶け込むこともある。だが、どれかひとつの音が中心となることは決してない。すべての音は同じ高さの地平に置かれ、開かれ、均質でありながら漂い続け、時間の流れの中をそっと流れていく。この姿勢は、ときおり行うパフォーマンスやインスタレーションにもそのまま息づいている。

 録音作品の多くは、かつての Octpia、そして現在の omnimemento から発表され、その多くは自身の手で仕立てられたパッケージに収められる。初期の Spiracle 名義の作品は Drone Records、Mystery Sea、taâlem、Helen Scarsdale Agency といったレーベルからも世に送り出された。
 2004年のヨーロッパ移住以降は、マイケル・ノーザム、ジョン・グリズニッチ、ヤニック・ドビー、エマニュエル・ホルターバック、ジョナサン・コルクロー、コリン・ポッター、アンドリュー・チョークら、同じく音の質量や影を見つめるアーティストたちと共に制作を重ねている。2020年からは sonomono 名義で、ありのままの音の佇まいを記録した作品も発表し始めた。

 近年は写真にも積極的に取り組む。銀塩フィルムを用いた多重露光で、風景の中に人や自然物の気配を重ね合わせ、時間の層が透けて見える、残響のようなイメージを生み出す。それらは、音と同じく、形を与えられる前の世界――いまだ名前を持たないままの瞬間を、そっとすくい取ろうとする試みだ。

ニュース

◑ バイオ

アーカイブ

レーベル

あまねくうつしみ

 私たちが日常で接する事物や環境のほとんどは、何かしらの目的によって作られ、役割を与えられている。「自然」と呼ばれるものでさえ、私たちの身の回りにある多くは、便宜上改変されているか、少なくとも改変された環境の中に置かれているか、あるいは役割を終えて放置されたものだ。
 そうした事物や環境が、本来の目的とは全く異なる方法で用いられ、役割と無関係な状況に置かれたとき、その具体性が過剰に際立った「異風景」が現れる。この方法は二十世紀前半、多くのシュールレアリストにより試みられ、音楽ではミュージック・コンクレートの手法として定着している。

 同様の手法を用いつつも、私自身の興味は「異風景」を出現させることより、むしろ行為をもってその中へ参入し、役割から解き放たれた事物や環境と、全感覚を通じて「分子的交流」を行うことにある。あえて言うなら、その目的は「分子的交流」を通じて、水・火・風・土・気といった元素的な諸力が渦巻く、「自然」の「原風景」を呼び出すことだ。
 そのような「自然」は、しばしば実在しないユートピアの産物と見なされがちだが、日常の具体的な事物に端を発している以上、むしろ「生(き)の現実」と呼ぶべきだろう。
 「生の現実」という語は、現実の厳しさを連想させるかもしれない。しかし、行為を通してそこに参入したときに感じられる、元素的な力が織りなす「原風景」は大変美しく、私はむしろそれを「現実の生の美しさ」と捉えている。
 その美しさはどこにでも遍在しているのだが、日常生活では、有用性のきらびやかな輝きに覆われてしまい、感じ取ることが難しい。それは、美しい星々を昼間に肉眼で見ることができないのと同じだ。

 日常の至るところに遍在する「現実の生の美しさ」。これを五感に呼び起こすための行為を記録することは、果たして無用だろうか。少なくとも、有用性の呪縛から解き放たれた「生の現実」には、無駄なものは一切ない。


あまねくうつしみ CD ブックレットより


このサイトのすべての素材は以下のライセンスに帰属します。Creative Commons Attribution-NonCommercial-ShareAlike 3.0 Unported License.